東京地方裁判所 昭和41年(刑わ)1780号 判決 1968年11月02日
被告人 津布久作治郎
主文
被告人は無罪
理由
第一、本件公訴事実
被告人に対する公訴事実は、
「被告人は、東京都墨田区京島一丁目三十五番八号所在墨東工業厚生事業協同組合墨東給食センター(以下「給食センター」と略称)従業員の一部をもつて組織している墨田合同労働組合墨東給食センター支部の書記長であるが、同労働組合においては、昭和四十一年二月五日ころから給食センター理事者側に対し被告人ほか一名の解雇撤回を要求してきたところ、給食センター理事者側からこれを拒否されたことを不満とし、給食センター理事者の意思を制圧して右要求を有利に展開するため、給食センターの給食運搬用自動車の出発を阻止しようと企図し、組合員ら多数と共謀のうえ、同年三月十六日午前五時四十分ころから同七時ころまでの間、給食センター正面入口に向つて左前方にあたる同区京島一丁目三十五番九号河野商店前道路上に、株式会社京屋製作所名義の小型四輪貨物自動車(足四そ五三四六号)を斜めに停車させ、これに接続して木柵を置き、給食センター正面入口に向つて右前方にあたる同区京島一丁目三十三番十三号東京衛材研究所前道路には、給食を積載した右給食センターの小型四輪貨物自動車(足四ひ五七七号)を斜めに停車させ、また給食センター配食係運転手班長斉藤利章が給食センターの小型四輪貨物自動車(足四に六七一九号)を運転し京成曳舟駅方向に進行せんとするや、同区京島一丁目三十三番四号高野健一方前道路上において、これを阻止し、右自動車の前後に石、ドラム缶を置くなどして同自動車の進行を不能にし、更に右組合員らが停車しあるいは停車させた右各自動車の周辺に蝟集し、右斉藤の運転する前記自動車をはじめ右給食センター配食係運転手関根茂ほか三名の運転する給食を積載した小型四輪貨物自動車(足四に六六九八号ほか三台)の通行を妨害し、もつて、威力を用いて右給食センター及び右関根茂らの給食運搬等の業務を妨害したものである。」
というのであり、なお、検察官は、右公訴事実のうち「関根茂らの給食運搬等の業務」とは、配食係運転手関根茂(五号車)、同宮本俊夫(十二号車)、同稲田芳宏(二号車)及び同平田政夫(十号車)の給食運搬業務のほか、当時配食の責任者であつた斉藤利章が被告人らの妨害を排除し給食業務の円滑な遂行をはかるため警察官に緊急連絡しようとした業務であり、これは同人の職制上の地位からみて業務の範囲に属するものである、と釈明した。
第二、当裁判所の認定した事実
一、墨東給食センターの組織、業務内容
墨東厚生事業協同組合は、中小企業等協同組合法に基く事業協同組合として、昭和三十九年一月東京都の認可を受け、「組合員の相互扶助の精神に基き組合員のために必要な共同事業を行ない、もつて組合員の自主的な経済活動を促進し、かつその経済的地位の向上を図ること」を目的とし、東京都墨田区京島一丁目三十五番八号に事務所を置いて設立されたものであるが、その目的を達成するために、「組合員のためにする給食に関する共同事業、組合員のためにする共同給食の施設の設置及び維持管理」などの事業を行うところから、通称墨東給食センターと呼ばれている(従つて、以下右協同組合のことを単に給食センターという)。そして、この給食事業は、昭和四十年二月に開始され、昭和四十一年三月十六日の本件争議行為当時、給食センターと給食契約を結んでいた組合員数は約三百事業所に及んでいたが、その組合員たる資格を有する者は、墨田区内に事業場を有し厚生年金保険の加入者たる小規模の工業、商業、建設業又はサービス業を行う事業者である。
給食センターには、理事長江原筆三郎、専務理事崎山洸らの役員のほか、業務部長田中寛以下約六十名の従業員がいて、事務、配食、調理、ボイラーなどを分担稼働して居り、各事業所からの発註に応じて、朝食、昼食、夕食をそれぞれ調理し、配食係運転手が給食センター所有の給食運搬用自動車(以下単に配送車という)に積込み、これを運搬して発註先の各事業所を廻つて配達しているのであるが、朝食は、午前五時三十分ころから給食センター内の発送室において積込みを始め、同五時四十分ころから同六時ころまでの間に発送室を出発し、各事業所の作業開始前に朝食ができるように配達しているものであり、その配達には約一時間位を要している。
なお、給食センターの発送室は、同センター事務所内のほぼ東南角部分にあり、それに面する南側には東西に通ずる幅員約六米位の道路があつて、東方へは同区京島一丁目三十三番十三号所在の東京衛材研究所前を経て曳舟小学校に通じ、西方へは同区京島一丁目三十五番九号所在の有限会社河野商店寺島営業所前を経て通称宝通りに通じ、また発送室に面する東側には南北に通ずる幅員約五米位の道路があつて、この道路は右東西に通ずる道路とT字路になつていて、北方へ同区京島一丁目三十三番四号所在の高野健一方前を経て京成曳舟駅に通じているが、配送車は、多くは右三方向への道路のうち東方及び西方へ通ずる道路を経て配達に廻つている。
二、被告人と合同労組並びに第二組合
被告人は、昭和四十年四月九日給食センターに運転手として雇用され、同年五月ころ約一ケ月間事務職に従事したほかは、配食係運転手として稼働していたが、給食センターは、同年六月十九日、かねて業務上の指示提案につき異見を述べていた配食係運転手小出英人に対し、業務遂行上支障を来たすとの理由で解雇する旨の通告をなし、被告人がその解雇理由の説明を要求するや、同月二十二日、被告人に対し、都合により解雇する旨の通告をなした。
そこで、被告人は、総評全国一般墨田合同労働組合(以下単に合同労組という)に相談に赴いて合同労組に個人加盟し、合同労組の書記長長鳥秀和ら役員が給食センター側に対して被告人らへの解雇通告の撤回を要求したため、同センター側は、同月二十五日被告人に対する解雇通告を撤回し、次いで小出に対する解雇通告も撤回した。そして、被告人らが復職就労しようとした際、給食センター側において、他の配食係運転手らが被告人らの復職に反対であるとの理由で、被告人らに対し有利な条件で退職して欲しい旨勧告するという経緯もあつたが、被告人らは復職就労した。その後、給食センター従業員で合同労組に加盟する者もふえ、同年十一月十八日には十二名位で合同労組墨東給食センター支部を結成して、支部長に配食係運転手の丹治茂雄、書記長に被告人がそれぞれなり、翌十九日給食センター側にその結成通知をなした。
給食センターには、右合同労組給食センター支部のほかに、昭和四十一年二月三日に結成された通称第二組合と呼ばれる関東化学労働組合墨東給食支部(以下単に第二組合という)があり、同年三月十六日の本件争議行為当時、給食センター従業員のうち合同労組員は前記丹治及び被告人を含めて六名、第二組合員は支部長の斉藤利章ほか四十数名であつた。そして、給食センターと右二つの労働組合との間には、何らの争議協定もなかつた。
三、本件争議行為に至るまでの経緯
ところで、給食センター従業員のうち合同労組員と他の従業員とは、前者の中に時に遅刻や欠勤をして後者に職務上の負担をかけるものがあつたことなどの理由から、両者の間が次第に感情的に面白くない状態となつていた折柄、昭和四十一年二月一日午後二時過ぎころ、被告人は、作業中調理室にいた白石米造より食缶を出してくれと言われて食缶を出してやつたが、その出し方が適切でなかつたので、同人が「お前ら組合員は手荒く取扱つている。」と言つたことから、両名の間で言争いを始め、合同労組員の竹内憲治が被告人側に、他の従業員の田中信行が白石側に加わつて、四名で発送室において喧嘩口論となり、田中業務部長が被告人と白石を二階の事務室に呼んで事情を聞いたが、その後被告人を階下におろしたところ、再び騒ぎが大きくなり、竹内が食缶を持出したり、シャッターの柱を持つて誰かを殴る気配を示したので、同部長がこれを止めたのであるが、その際同部長が右足に傷害を受け、遂にパトカーが出動して関係者が即日警察署に任意出頭を求められて取調べを受けるという事態が発生した。
そこで、給食センター側では、被告人ら合同労組員と他の従業員との反感対立が表面化したものと考え、冷却期間を置くため、被告人を含む右事件関係者らに対し二日間有給で休ませる措置をとつたうえ、喧嘩両成敗的見地から、これら関係者を退職させることとし、田中業務部長が白石、田中らに辞表を提出させて、これを預り保留したまま、同月三日、被告人及び竹内の両名に対し退職を勧告したが、両名においてこれを拒絶するや、その夜、両名に対し口頭で懲戒解雇する旨を通告した。そして、給食センター側が右懲戒解雇の理由としたのは、被告人については、被告人が以前にも遅刻や欠勤があつたのに同年一月六日から同月十一日まで欠勤し(九日は公休日)、そのうち七日以降の四日間は無断欠勤であり、同月十二日出勤後に給食センター側より始末書を提出するよう指示されたに拘らずこれを提出せず、翌十三日には遅刻し、更に同月十七日には仮眠室で勤務時間に喰い込む昼寝をしたばかりか、同年二月一日には前記のように喧嘩に及んだということであり、また、竹内については、同人も以前に欠勤等があつたのに同年一月四日夜退社後に飲酒酪酊して他人と喧嘩し四月五日から同月八日まで欠勤し、そのうち六日以降の三日間は無断欠勤であり、更に同月三十一日には勤務時間中に遊んでいたことなどについて始末書を徴されたばかりであるのに拘らず、同年二月一日には前記のように喧嘩に及んだということであつた。
しかしながら、合同労組側は、被告人及び竹内の両名に対する前記解雇通告が第二組合の結成された同年二月三日の夜に、退職勧告拒否に引続いてなされたことなどの理由から、右解雇通告を喧嘩両成敗に藉口した合同労組に対する弾圧であり解雇権の濫用であると考え、解雇通告の撤回を要求して、同月四日には右両名が田中業務部長と会い、同月五日及び同月七日には合同労組本部の長島秀和書記長が同部長と会つてそれぞれ折衝したほか、合同労組側の申入れにより、同月十日、合同労組側から永島盛次委員長や被告人らが、給食センター側から同部長らがそれぞれ出席して団体交渉が行なわれたが、双方の主張が対立したままで解決しなかつた。そして、合同労組側は、同月十六日早朝給食センターの建物及び車輛にビラを貼付し、同センター側が管理権の侵害行為であるとして合同労組側に警告するということもあつた。次いで、合同労組側は、同月十九日給食センター側に対し、「前記両名に対する解雇通告は喧嘩両成敗の名による解雇権の濫用で合同労組破壊の不当弾圧であり、また第二組合作りは団結権の侵害行為である。」旨の抗議文を交付し、同年三月一日には、合同労組の上原執行委員と被告人、竹内らが田中業務部長と会つて、「文書による解雇通告がなされていないので解雇は無効であるから、同年二月四日以降の休業補償をせよ。」と要求したが、同部長はこれに応じなかつた。
そこで、合同労組側は、同年三月四日、給食センター側に対し、「被告人らの不当解雇に抗議するため、同月七日以降実力行使を行う。なお、双方話合いの余地があるならば、同月五日中に団体交渉を開き組合としても解決への努力を惜しまない。」旨の実力行使通告と題する文書を手渡したところ、給食センター側がその団体交渉の要求を容れたので、同月五日、給食センター側から崎山専務理事、田中業務部長らが、合同労組側から永島委員長らがそれぞれ出席して団体交渉が行なわれ、その席上、給食センター側は、解雇通告を文書でしていなかつたため譲歩することにして、同年二月四日から同年三月五日までの休業補償費を出すほか、被告人については解雇予告手当も出すと申入れ、これらの金を用意して、就業規則第四十七条及び第四十九条により昭和四十一年三月五日付をもつて懲戒解雇する旨の解雇通告書とともに手渡そうとしたのであるが、合同労組側は、復職を固執して右解雇通告書さえ受取らず、結局物別れとなつた。それで、給食センター側は、同月七日付書留郵便でもつて、被告人及び竹内に対し解雇通告書を発送したが、被告人はその受取を拒絶し、竹内はこれを返送した。その後、合同労組側は、給食センター側に対しては団体交渉の申入その他何らの通告をもしなかつたのであるが、同月八日再び給食センターの建物や車輛にビラを貼付したので、給食センター側は、管理権の侵害行為であるとして警告し、更に、そのころ合同労組側が給食センターの附近に崎山専務理事らを誹謗するビラを配布したため、給食センター側は、同月十四日合同労組側に対し、給食センター並びに役職員の信用を失墜せしめんとする行為で従業員として逸脱した行動であると警告した。なお、給食センター側は、同月十一日、被告人に対する解雇予告手当、休業補償費計三万四千三百十六円を、竹内に対する休業補償費とともに東京法務局に供託した。
このように合同労組側は、団体交渉によつて被告人らに対する解雇通告を撤回させることができなかつたため、同月十二日午後六時ころから、墨田区千歳町一丁目四番地所在の株式会社京屋製作所において、合同労組支部長会議を開き、本部役員と各支部長計十四、五名位が出席したが、その席上、給食センター支部長の丹治は、「給食センター支部としては、被告人らの解雇についてはあくまでも戦う。」旨報告し、永島委員長は、「給食センターの解雇斗争につき近いうちにストライキ態勢をもつてこれに当る。各支部から二、三名計五十名位を動員して支援する。詳しいことは後で連絡する。」などと発言し、各支部が応援することを決め、その後、被告人は、永島委員長より丹治を通じての指示に従い合同労組本部と給食センター支部との間の連絡者となり、毎日合同労組本部へ行くことになつた。そして、被告人は、同月十五日午後六時過ぎころから、墨田区内の喫茶店ドリームにおいて、合同労組給食センター支部の前記丹治支部長、小出英人、竹内憲治、阿部文雄及び大谷勝美の五名に対し、「合同労組本部の指示により十六日早朝ストライキに入り、給食センターの朝食運搬を阻止することになつた。各支部からの動員者五十名で朝五時半から七時半まで、センター正面入口右側、東京衛材研究所前とセンターの裏にピケを張り、京屋の自動車を正面入口右側の路上に停め、配送車をストツプさせる。」旨伝え、各人の分担等につき協議した結果、被告人においては支援労組員の指揮をすること、丹治においてはその担当する配送車を東京衛材研究所前路上に停めて車の中に入つたまま鍵を抜いておき、出ろと言われても出ないようにすること、阿部においては給食センター側が警察に電話連絡しないよう見張ること、竹内においては田中業務部長の実弟田中紀雄の行動を見張ること、小出及び大谷においては午前八時ころ出勤することなどを決めた。
四、本件争議行為の状況
(一) 昭和四十一年三月十六日給食センターが各事業所から註文を受けて配達すべき朝食は、
第一地区が配送車十号車、担当運転手平田政夫で、丸力シヤツ株式会社ほか二十ケ所に主食副食とも二百三十八食宛
第二地区が配送車十二号車、担当運転手宮本俊夫で、株式会社中村機械製作所ほか十九ケ所に主食百二十四食、副食百二十五食
第三地区が配送車五号車、担当運転手関根茂で、塚田合紙ほか十八ケ所に主食百三十五食、副食百三十四食
第四地区が配送車二号車、担当運転手稲田芳宏で、株式会社林三郎商店ほか十七ケ所に主食副食とも百三十七食宛
第五地区が配送車十一号車、担当運転手丹治茂雄で、小松製作所ほか二十ケ所に主食百七十一食、副食百七十五食
合計九十九ケ所に主食八百五十五食、副食八百五十九食であり、これらの朝食配達のため配送車を予定どおり出発させる責任者は、配食部副班長の斉藤利章で、同人は第二組合の支部長でもあつた。
そして、給食センターにおいては、同日午前三時ころから調理室で朝食の調理作業が開始され、午前五時過ぎころにはその作業が完了し、前記稲田を除く担当運転手は、同五時三十分ころから発送室において、配送車の後部を調理室に向けて西側から十号車(運転手平田政夫)、十二号車(同宮本俊夫)、五号車(同関根茂)と並べて停車させ、更にその東側に十一号車(同丹治茂雄)を道路より後部を発送室に向け斜めに停車させて各自朝食の積込みを始め、二号車担当の稲田のみは、右五号車が発送室を出たのち午前六時ころから、その同一位置に二号車を停車させて積込みを始めたが、いずれも積込みは約二十分位で終つた。
(二) 被告人や竹内、阿部らは、同日午前五時四十分ころまでに給食センター前に赴き、合同労組の秋山機械製作所支部、日本半田工業支部などから支援のため腕章や鉢巻などをしてやつてきた組合員約四十名位とともに、前記解雇通告の撤回要求を貫徹するために朝食の配達を阻止しようとの意思を相通じたうえ、同五時五十分ころ、まず二、三名の者が発送室附近において、就労中の配食係運転手らに対しストライキに入る旨告げたのち、「これからピケを張るので皆さんも協力してほしい。」などと言つて朝食の配達を中止するよう説得したほか、約十名位の者は、前記西方に通ずる河野商店前道路上において、一部の者が乗つてきた株式会社京屋製作所所有の小型四輪貨物自動車(以下単に京屋の車ともいう)を斜めに駐車させてその周辺に待機し、他の六、七名位の者は、前記東方に通ずる東京衛材研究所前道路上において、丹治が運転してきて斜めに駐車させた十一号車の周辺に待機し、また他の十数名位の者は、前記北方に通ずる高野健一方前道路上に待機し、それぞれ通行する配送車の前面に立ち塞がる態勢をとり、いわゆるピケツテイングを始めたが、被告人は、後記のように丹治運転の十一号車を誘導したほか右各ピケツト間を行き来し、竹内、阿部は、給食センター二階の事務室で田中紀雄、斉藤利章らの行動を見守るなどした。
(三) ところで、右三ケ所におけるピケツテイングの状況は、次のとおりであつた。
(1) 河野商店前路上
河野商店前路上においては、合同労組員約十名位が株式会社京屋製作所所有の小型四輪貨物自動車を斜めに駐車させていたが、その前部側は路端との間隔が数十糎しかなくて車輛の通行は不可能な状態であり、後部側は路端との間隔が約一米位しかなかつたが、美咲電気無線株式会社城東営業所の敷地をも利用すれば車輛も通行できる状態であつたところ、午前六時ころ、後記のように平田運転の十号車が発送室を出発するや、右京屋の車の後部に接続して、美咲電気無線株式会社所有の長さ一米七十糎位、高さ八十糎位の木柵一個を置いて、車輛の通行を困難な状態にしたうえ、その周辺にスクラムを組むこともなく立つて待機し、時に「首切反対」「団交させろ」などと叫んで気勢をあげ、ピケツテイングを行つていた。そして、右約十名位の者は、前記斉藤や調理士見習の利根川年雄が右木柵を除けるや、「どかしちやだめだ。」と言つて木柵を置き直し、右斉藤や配米係の萩原清がそれぞれ一回宛「配送車を通すのに邪魔だから車を除けて欲しい。」旨要求したのに、これに応ぜず、また、同六時過ぎころには制服警察官黒沢栄太郎より、同六時十五分ころには右黒沢や制服警察官栗田茂より、交通の妨害になるので車などを移動させるよう警告されたのに拘らず、「争議中だから仕方がない。正当な争議だからタツチするな。」などと言つて、その指示に従わず、同六時四十分ころ京屋の車を河野商店寄りの道路片側に移動させるまで、ピケツテイングを続けた。
そのため、十号車の運転手平田は、午前六時ころ朝食の積込みを終え、平常どおり河野商店前路上を経て宝通りに出ようと同方向を見た際には、前記京屋の車の後部側には木柵が置いてなく、何んとか通行できそうであつたので、発送室を出発したところ、すぐに同商店前路上にいた合同労組員らが京屋の車の後部に木柵を置いたため、数米進行したのみで停車し、木柵を除けてくれと言つても無駄だと考えて進行を諦め、右合同労組員らに対し何ら通行したい旨を申出ることもなしに、発送室に十号車を返した。その後、平田は、東京衛材研究所前路上においても丹治運転の十一号車が障害物となつているのを見たり、また高野方前の道路の方からは「馬鹿野郎」などと言つて騒いでいる声が聞えたため、いずれも合同労組員らに塞がれて通行できないものと考え、再び発送室から進行しようともしなかつた。そして、午前六時四十分ころに至つて、京屋の車が河野商店寄りの道路片側に移動されピケツテイングが解除されたので、平田は、十号車を運転して宝通りに出て、担当地区の発註事業所に朝食を配達して廻つたのであるが、平常より約一時間配達が遅れたため、二、三の事業所より配食が遅いなどと苦情を言われた。
(2) 東京衛材研究所前路上
十一号車の運転手丹治は、前記被告人らとの前日の協議の結果に従い、十一号車を障害物とする意思であるのにこれを秘したまま、午前五時四十分ころには朝食の積込を終えて出発の準備を完了したところ、被告人が来て、「積終わつたら出てくれ。」と指図したので、発車させ、被告人の誘導に従つて、東京衛材研究所前路上に斜めに駐車させ、運転席ドアに鍵をかけて外から開けられないようにしたが、十一号車の前部側も後部側も路端との間隔が一米位宛しかなく、車輛の通行は不可能な状態であり、その周辺には合同労組員六、七名位がスクラムを組むこともなく立つて待機し、河野商店前と同様に気勢をあげたりしてピケツテイングを行ない、被告人もこれに加わつたこともあつた。そして、丹治は、午前六時ころ、前記斉藤が車を出して道路をあけるよう手で合図したのに、ただにやにや笑いながら手を振つて応じない旨を合図し、同六時五十分ころ被告人の指示で十一号車を移動させるまで同所に駐車し、その周辺の合同労組員もピケツテイングを続けた。
そのため、五号車の運転手関根は、午前五時五十分ころ朝食の積込みを終え、平常どおり宝通りに出ようと同方向を見たところ、前記河野商店前の状況から通行できないものと考え、午前六時過ぎころ、東京衛材研究所前路上の方に出発したが、同研究所前路上には丹治運転の十一号車が駐車していたため進行できず、その手前四、五米位で停車し、クラクシヨンを鳴らして進路を開けるよう合図したが、丹治が十一号車を移動させないので、これ以上強いて要求すれば喧嘩になると考えて進行を諦め、五号車より下車し、丹治に対し口頭で通行したいから車を除けて欲しい旨を申出ることもなしに、発送室に引返し、更に同六時四十分ころ、斉藤の指示により五号車に乗つたが、丹治に対して十一号車を移動させるよう要求もしないまま、同人が移動させるのを待ち、暫くして同六時五十分ころ、同人が被告人の指示で十一号車を移動させ、ピケツテイングが解除されたので、曳舟小学校に通ずる通路を経て、担当地区の発註事業所に朝食を配達して廻つたのであるが、平常より約一時間配達が遅れたため、二事業所より、もう朝食は作つたから要らないなどと苦情を言われた。また、丹治も十一号車を移動させたのち、担当地区の発註事業所に朝食を配達して廻つたのであるが、午前八時以後に配達した事業所では遅いと苦情を言われた所もあつた。
(3) 高野健一方前路上
高野健一方前路上においては、合同労組員十数名位がスクラムを組むこともなく立つて待機しピケツテイングを行つていた。
ところで、前記のように当日の朝食配達の責任者でありかつ第二組合の支部長であつた斉藤は、午前五時三十分ころ、宝通りの方向から来る合同労組員の一団を認め、直ちに二階事務室より電話で田中業務部長にその状況を報告したのち、調理室で従業員を督励して速やかに配送車を出発させようと考えたが、同五時五十分ころ、前記河野商店前路上に京屋の車が斜めに駐車しその周辺に合同労組員らが待機している状況を見て、朝食の配達が不可能になることを案じ、また、かねてより同部長にかような場合には警察に電話連絡するよう指示されていたので、十二号車の運転手宮本に対し百十番へ連絡するよう依頼したうえ、前記のように河野商店前路上で合同労組員らに京屋の車を移動させるよう要求したり、東京衛材研究所前路上で丹治に十一号車を移動させるよう手で合図したりなどし、その後、午前六時十分ころ、給食センター横に駐車中の配送車八号車を運転して曳舟駅方向に向け高野方前路上を進行した。そこで、同人方前路上にいた前記合同労組員らは、斉藤が朝食の配達に赴くものと考えてその進路に立ち塞がり、同人が八号車を同所の道路東片側に寄せて停車し、「この弁当を配達に行くのだから通して欲しい。」などと申出るや、「ストに協力してくれ。」などと言つて朝食の配達を中止するよう説得した。ところが、斉藤は、一旦了解したかのように車を少し後退させたのち、突然進行を開始しようとしたため、合同労組員の中には「殺す気か」「馬鹿野郎」などと怒鳴る者もあり、斉藤も又怒鳴り返すなどしていたが、そのうち、八号車には朝食が積込んでないことが判明したため、合同労組員らは、憤慨して附近にあつた石やコンクリート塊、ドラム缶を持つて来て八号車の前後や前後車輪の間に置き、八号車を進行できないようにしたうえ、同人に対して下車するよう申向けたので、同人は、八号車より下車して発送室に引返したが、右八号車の西片側道路は車輛が通行できるに十分な余裕があつた。そして、前記高野方前路上におけるピケツテイングは、午前六時五十分ころまでに解除された。
(四) 前記担当運転手のうち、十二号車の運転手宮本は、午前五時五十分ころ朝食の積込みを終つたが、斉藤とともに田中業務部長に電話をしたり、斉藤の依頼により警察署に電話をしたりなどし、また、二号車の運転手稲田も午前六時十分ころには朝食の積込みを終つたが、いずれも前記各状況を見て発送室から出発するのを諦め、ピケツテイングが解除されたのち、午前七時ころ出発して各担当地区の発註事業所に朝食を配達して廻つたのであるが、平常より約一時間配達が遅れたため、宮本においては一事業所より、稲田においては一、二の事業所より苦情を言われた。
(五) 右のように当日は、前記ピケツテイングが行われたことによつて、朝食の配送車がいずれも平常より約一時間遅れて出発し、各発註事業所への配達も遅れたため、給食センターは、合資会社丸山鉄工所ほか二ケ所より朝食を主食副食とも計十七食宛の註文を取消され、約二十の事業所からは電話で朝食の配達が遅いと催促を受け、また朝食が作業開始時までに間に合わない事業所もあつた。
五、以上の各事実を認定した証拠は、次のとおりである。
証拠<省略>
第三、被告人の行為の構成要件該当性について
刑法第二百三十四条の威力業務妨害罪にいう威力とは、直接人に対する暴行脅迫に限らず、業務遂行の意思を制圧するに足りる勢力を指称するものであり、労働争議において就労を阻止すべく説得するために行われるピケツテイングでも、争議組合が阻止しようと目している者をして通行しようとする意思を放棄するのやむなきに至らしめるに足りる勢力で行われたときには、これに該当すると解すべきところ、前記認定事実によれば、被告人は、丹治茂雄、竹内憲治らや支援の合同労組員約四十名位とともに、朝食の配達を阻止しようとの意思を相通じたうえ、約十名位の者においては河野商店前路上で京屋の車を斜めに駐車させ、その後部に木柵を置き、それらの周辺に待機し、約六、七名位の者においては東京衛材研究所前路上で丹治が運転してきて斜めに駐車させた十一号車の周辺に待機し、また十数名位の者においては高野健一方前路上で待機し、それぞれ通行する配送車の前面に立ち塞がる態勢をとって、ピケツテイングを行つていたのであり、そのため、配送車の運転手平田、関根、宮本及び稲田の四名は、右ピケツテイングの行われていた約一時間、朝食の配達に赴くことを諦めざるをえなかつたのであるから、被告人の所為は、丹治ら約四十名位の者と共謀による右平田ほか三名の朝食配達業務ひいて給食センターの配食業務に対する威力業務妨害の構成要件(刑法第二百三十四条、第六十条)に一応該当するといえる。
なお、検察官は、配食の責任者であった斉藤利章が被告人らの妨害を排除し給食業務の円滑な遂行をはかるため警察官に緊急連絡しようとした業務も、被告人らの威力によって高野方前路上で妨害された旨主張するので、この点について検討するに、なるほど前記認定のように斉藤は当日の朝食配達の責任者であつたところ、第六回公判調書中証人斉藤利章の供述記載部分には、「斉藤は、河野商店前の状況を見て、これでは配食できないから、何んとか排除して貰おうと思つて、宮本に百十番に連絡してくれと頼んだが、なかなか警察が来てくれないので、自分で電話しようと思つて二階の事務室に行つたところ、竹内があとをつけて来たため、同人に邪魔されて電話できないだろうと思い、電話しないまま階下に降り、曳舟駅の向う側の公衆電話ボツクスに行こうと考えて八号車に乗り高野方前路上の方に進行した。」旨の記載がある。しかしながら、前掲各証拠によれば、斉藤は、八号車に乗るまでの間に、宮本より、同人がすでに警察に電話連絡したことや警察官が給食センターに向け出発したとの回答があつたことの報告を受けていて、再度電話連絡する必要のなかつたものであり、また、竹内も終始斉藤のあとをつけていたわけではなく、同人が電話する気になれば給食センター内で十分電話連絡できる状況下にあつたこと、更には、斉藤は、高野方前路上において合同労組員らに対し、あたかも斉藤自身が朝食の配達に赴くものであるかのような言動をなしていたことなどが認められるのであつて、右証人斉藤利章の供述記載部分は信用し難く、検察官主張の如く斉藤が警察に緊急連絡するために八号車に乗車したものであるとは到底認めることができず、むしろ、第二組合の支部長でもある斉藤が合同労組に対する対抗意識の過剰から敢えて朝食の配達に藉口してピケツトラインの突破をはかつたのではないかとさえ疑える。従つて、被告人ら合同労組員が高野方前路上において斉藤運転の八号車の通行を妨害したことを目して、同人に対する威力業務妨害がなされたものということはできないのである。
第四、被告人の行為の正当性について
弁護人は、被告人ら合同労組員の行つた本件ピケツテイングは、解雇権濫用の不当な解雇通告を撤回させるためになされた正当な争議行為であると主張するところ、前記認定事実によれば、当時給食センター側と合同労組側との間には、被告人及び竹内に対する懲戒解雇の通告をめぐつて紛争が生じ、合同労組側においてはその撤回を主張していたものであり、本件ピケツテイングは、合同労組がその主張を貫徹することを目的として行つた行為であるから、争議行為であることが明らかである。
しかしながら、労働組合法第一条第二項本文の適用を受ける正当な争議行為というためには、それが目的においても正当であり、かつその態様(手段方法)においても正当であることが必要であるから、以下これらの点について検討する。
一、目的の正当性
前記認定事実によれば、本件ピケツテイングは、合同労組が被告人及び竹内に対する解雇通告の撤回という主張を貫徹することを目的として同盟罷業とともになされたものであるところ、右解雇通告は、給食センター側が昭和四十一年二月一日の喧嘩口論に関係した被告人、竹内、白石、田中らに対して、喧嘩両成敗的見地から退職を勧告し、被告人及び竹内の両名がこれに応じなかつたため、両名を懲戒解雇にする旨通告したものであることが明らかである。なるほど、前掲各証拠によれば、当時給食センター従業員のうち合同労組員と他の従業員との間が感情的に面白くない状態にあつたこと(このことは被告人自身も認めて供述している)、被告人及び竹内の両名とも出勤状況や勤務態度が決して良好であつたとは言えないこと(なお、他の従業員が右両名と比較して良好であつたかどうかを認めるに足りる証拠はない。)が明らかであつて、給食センター側が右二月一日事件を契機として合同労組員たる右両名を退職させたいとの気持に走るのも理解できないではないが、懲戒解雇は、労働者に対する最終的な懲戒処分であつて、喧嘩両成敗による退職勧告に応じなかつたからと言つて軽々になされるべき性質のものではないばかりでなく、前掲給食センターの就業規則によると、「職務上の規則、指示、命令に故なく従わなかつた者」「素行不良で会社の風紀秩序を紊した者」などは懲戒し(第四十七条)、懲戒には、懲戒解雇のほかに譴責、減給、出勤停止があり(第四十八条)、「二週間に亘つて正当な理由なく無断欠勤し出勤の督促に応じない場合」「出勤不良又は出欠常ならず数回に亘つて注意を受けても改めない場合」などに該当する者を懲戒解雇に処するが、情状により減給又は出勤停止に止めることがある(第四十九条)旨規定していることが認められ、前記両名ことに被告人が右懲戒解雇の要件に該当するかも疑問の存するところであり(なお、右両名に対し減給等によつて反省を与えることが無意味であることを認めるに足りる証拠はない。)、また、右両名に対する懲戒解雇の通告が第二組合の結成された日の夜になされたことからみて、合同労組側が右解雇通告を合同労組崩壊の意図のもとになされた不当労働行為ではないかと疑うのも十分に理由のあることである。
従つて、合同労組側が給食センター側に対し前記解雇通告の撤回を主張して団体交渉を申入れ、団体交渉によつてこれが容れられないため、その主張を貫徹することを目的として、同盟罷業やピケツテイングなどの争議行為を行うのは、当然のことであるから、本件ピケツテイングは、その目的において正当であると言える。
二、態様(手段方法)の正当性
労働争議に際し使用者側の遂行しようとする業務行為を阻害するために執られた労働者側の威力行使の手段が正当な範囲を逸脱したものと認められるかどうかは、諸般の事情から決すべきであると解されるので(最高裁判所大法廷昭和三十三年五月二十八日判決・刑集一二巻八号一六九四頁参照)、本件ピケツテイングの主体たる合同労組側の事情、相手方たる給食センター側の事情、本件ピケツテイングの対象者及び実況並びにその与えた影響などの諸般の事情について考察することとする。
(一) 合同労組側の事情
前記認定のように本件ピケツテイングのなされた昭和四十一年三月十六日当時、給食センターの従業員約六十名のうち合同労組員は六名で、全従業員の一割にしかすぎず、他の大部分は第二組合員であつたのであるから、合同労組員六名のみが同盟罷業を行つたとしても、給食センター側は他の従業員だけで給食の調理、配達を行うことが可能であつて、同センターの業務の正常な運営を阻害することはできず、何らの不利益を与えることもできないばかりか、かえつて、合同労組側のみの不利益となるので、単なる同盟罷業を行つたのみでは、当初から合同労組側の完全なる敗北に帰することが明らかであつたのである。
従つて、合同労組側が給食業務の正常な運営を阻害することによつて給食センター側に威圧を与え、被告人らに対する解雇通告の撤回につき再考をうながし、撤回の主張を貫徹するためには、他企業の合同労組員らの援助のもとに、第二組合員たる従業員に対し、同盟罷業に協力して給食の配達を中止するよう強く説得することが不可欠であつて、そのためのピケツテイングが必要であつたといわなければならない。
(二) 給食センター側の事情
給食センターの業務部長である証人田中寛は、「昭和四十一年三月十六日の前にスト通告はなかつた。ストをする場合には給食センター側に通告するものと考えていた。通告されていたら当然自分も泊り込むし、予備の人員を何人か用意したと思う。」と、あたかも合同労組側が給食センター側との信義則にもとり突発的に本件ピケツテイングを行つたかのように供述しているところ、合同労組側が給食センター側にピケツテイングを行う日を同年三月十六日と具体的に指定して通告したことは証拠上認められないのである。しかしながら、前掲各証拠によれば、給食センターと合同労組との間には争議協定がないが、合同労組側は、同年三月四日、給食センター側に対して、「被告人及び竹内の両名に対する不当解雇に抗議するため同月七日以降実力行使を行う。」旨を文書によつて通告しており、その後実力行使を行わない旨は何ら通告していないこと、のみならず、給食センター側は、被告人らに対する解雇通告をめぐつて紛争が生じて間もなくの同年二月十日ころから、合同労組側の争議行為によつて給食の配達が阻止され配達できなくなることを予想し、その場合には田中業務部長や警察に連絡することなどの対策を決めて、第二組合員らに指示し、また、給食の発註事業所に対しては、争議行為によつて給食の配達ができない場合があるかも知れないので了承して貰いたい旨を通知するとともに、その場合用にインスタントラーメンを配布していたことが認められる。
従つて、たとえ実力行使の日を三月十六日と具体的に通告せず、また三月七日から同月十六日までに十日の間があり、その間前記認定のようにビラ貼りなどが行われたとしても、本件ピケツテイングを目して、給食センター側において全く予期しない時に突発的に行われたものとして非難することはできないし、本件ピケツテイングの規模も給食センター側の予想していた以上に出でなかつたものであることが明らかである。
(三) 本件ピケツテイングの対象者及び実況
(1) 前記認定事実によれば、本件ピケツテイングの直接の対象とされた者は、配送車の運転手の平田、関根、宮本及び稲田らであるが、前掲各証拠によれば、同人らは、いずれも争議発生以前からの従業員であり、かつて合同労組に加入したことはなく、第二組合員であるから、合同労組の統制力は及ばず、本件ピケツテイングの行われた当時においても就労の権利及び自由を完全に保有していた者達である。
ところで、争議組合は、たとえ争議組合と直接係わりのない第二組合員に対してであつても、同一企業に働く労働者としての連帯意識を強調して、争議行為についての理解と協力を要請することが許されるのであるから、就労中の第二組合員に対しては、ピケツテイングによつて終局的にその就労を阻止することは許されないけれども、その就労を阻止すべく説得することは当然できるのであり、その場合のピケツテイングは、就労中の第二組合員の態度やその業務の性質等によつては、説得の場を確保するため或る程度の実力的行動に出ることも必要やむをえないこともあるというべく、しかも、就労中の第二組合員が説得に応じないで就労を継続する旨の意思を積極的明確に表示するまで、継続して行うことができるものと解すべきである。
(2) そこで、本件ピケツテイングについてみるに、前記認定事実によれば、高野方前路上においては、合同労組員十数名位が待機してピケツテイングを行つたのみであつたが、河野商店前路上においては、京屋の車を斜めに駐車させその後部に接続して木柵を置きそれらの周辺に合同労組員十名位が待機し、また、東京衛材研究所前路上においては、丹治が十一号車を斜めに駐車させてその周辺に合同労組員六、七名位が待機し、それぞれピケツテイングを行い、この二ケ所においては配送車の通行が不可能ないしは困難な状態であつたのである。そして、被告人ら合同労組給食センター支部組合員らがその前日喫茶店ドリームで朝食の配達を阻止するため配送車を止めることを協議したことは、前記認定のとおりである。
それで、本件ピケツテイングは、就労中の運転手に対する説得を目的としたものではなく、給食センターの業務の阻害ないしは企業活動の停止そのものを直接意図して行われたのではないかとの疑問が生じないわけではない。また、本件ピケツテイングに自動車を使用したこと、ことに丹治においては平常どおり就労するかのように装つて朝食を十一号車に積込んだうえ出発して突然この車をピケツテイングに使用したことは、妥当な方法ではないと言えよう。
しかしながら、本来、ピケツテイングは、説得などによつて就労中の者の就労を阻止するためにも行われるものであるから、前記のように被告人らが本件ピケツテイングの前日に朝食の配達を阻止するため配送車を止めることを協議したとしても、そのこと自体は何ら不都合なことではないし、そのことだけで、本件ピケツテイングを目して説得を目的としたものではないとは言えないのである。(むしろ、問題は、合同労組員らが配送車の運転手らに対し就労阻止のため説得をしたかどうか、また、説得に応じないで通行したい旨の意思を積極的明確に表示した運転手に対し、合同労組員らがどのような態度をとつたかにあるのである。)そして、前記認定事実によれば、合同労組員らは、実際に就労中の運転手らに対し同盟罷業に協力して朝食の配達を中止して貰いたい旨を説得したことが明らかであり、前掲各証拠によれば、就労中の運転手らは、給食センター側と密接な関係にあつた第二組合員で、合同労組員と感情的に面白くない関係にあつたうえに、配送車を運転して通行する者であつて、単なる歩行者とは異るのであるから、合同労組員らがただ立つて待機していただけでは十分な説得の機会さえ作りえないと危惧し、何らかの物理力を使用しようと考えるのも無理からぬものがあること、自動車の駐車によつて配送車の通行が不可能ないしは困難な状態であつたのは、給食センターより他へ通ずる三方向への道路のうち、二方向への道路であり、他の一方向への道路は高野方前に合同労組員十数名位がスクラムを組むこともなく立つて待機していたにすぎなかつたこと(なお、高野方前路上において斉藤運転の八号車が石やコンクリート塊などを置かれて進行不能となつたが、これは、同人が合同労働員らに説得されたのち突然進行をはかり、しかも朝食の配達に行くと云いながら、朝食を積込んでいないことが判明し、合同労組員らに憤激をかつたためであることが明らかである。)、自動車が駐車していた二ケ所においても、車は置き去りにされていたわけではなく、運転者が乗車していたり附近にいたりして必要に応じ移動させうる状態にあつたこと、現場に来た警察官より自動車を移動させるよう警告を受けた際には、争議中であることを理由に、これに応じなかつたが、間もなく自発的に車を移動させ、ピケツテイグを解除したこと、また、丹治は、十一号車を駐車させたのち、斉藤より移動させるよう手で合図を一回受けた際、これに応じなかつたが、それもにやにや笑いながら、応じない旨を手を振つて合図したもので、絶対に移動しないというような断固たる態度ではなく、ピケツテイング解除後は、自ら朝食を配達して廻つたことが認められるのである。これらのことを考慮すれば、本件ピケツテイングは、合同労組が就労中の運転手らに対する説得の機会を作り、説得によつて朝食の配達を阻止しようとの目的をもつて行われたものというべく、説得に応じないで通行したい旨の意思を積極的明確に表示した運転手に対しても絶対に通行を阻止する意図であつたとは認め難いのである。(しかも、前記認定事実によれば、説得に応じないで通行したい旨の意思を積極的明確に表示した運転手はなく、従つてかような意思を表示した運転手で通行を阻止されたものはなかつたのである。)また、前記のことを考慮すれば、本件ピケツテイングに丹治運転の十一号車や京屋の車が使用された点をとらえて、不当であると非難し去ることはできないのである。
(3) 次に、本件ピケツテイングの具体的な状況をみるに、前記認定事実によれば、次のようなことが明らかである。すなわち、
河野商店前路上においては、京屋の車を斜めに駐車させその後部に接続して木柵を置き、それらの周辺に合同労組員約十名位がスクラムを組むこともなく立つて待機しピケツテイングを行つていたところ、斉藤と利根川は、この木柵を一旦除けたが、合同労組員らがこれを置き直しても、これに抗議せず、また、斉藤と萩原は、配送車を通すので車を除けて欲しいと要求したが、それもただ一回宛であつて強く要求せず、更に、制服警察官は、交通妨害になるので車を移動させるよう二回警告したが、合同労組員らが争議中であると申出るや、それ以上強く警告していないし、同所では、何ら暴行脅迫などは行われていないのである。
東京衛材研究所前路上においては、丹治が十一号車を駐車させその周辺に合同労組員六、七名位が河野商店前路上と同様にピケツテイングを行つていたところ、斉藤は、丹治に対し車を移動させるよう手で一回合図をしたが、丹治がにやにや笑いながら手を振つて応じない旨を合図するや、それ以上要求せず、また、五号車の運転手関根は、クラクシヨンを鳴らして進路を開けるよう合図したにしても、ただそれだけで引下がついているのであり、同所でも何ら暴行脅迫などは行われていないのである。
高野健一方前路上においては、合同労組員十数名位がスクラムを組むこともなく立つて待機しピケツテイングを行つていただけである。なお、斉藤運転の八号車の通行を妨げたのは、前記のように威力業務妨害の構成要件に該当しないのであるが、右十数名位の者達は、斉藤が八号車を運転してくるや、同人が配達に赴くものと考えてその進路に立ち塞がり、同人が八号車を停めて、「配達に行くのだから通して欲しい。」と申出たので、同人に対し、「ストに協力してくれ。」などと言つて配達を中止するよう説得したところ、同人が一旦了解したかのように車を少し後退させたのち突然進行を開始しようとしたため、同人との間に「馬鹿野郎」などとのやりとりがなされ、そのうち朝食を積込んでないことが判明したので憤慨し、突嗟に石やコンクリート塊などを持つて来て、八号車の前後などに置いて進行できないようにしたものであり、同所でも暴行脅迫は行われていないし、八号車の西側は他の配送車が通行できる程の余裕があつたのである。
右のように、本件ピケツテイングは、三ケ所とも平穏裡に行われ、就労中の運転手に対して積極的に暴行脅迫を加えるなどのことは全くなかつたのはもちろん、運転手らより説得に応じないで通行したい旨の意思が積極的明確に表示された場合でもこれを強く拒否するという態度には出ていなかつたのであつて、いわば静止的受動的実力の行使に止まつたものというべきである。
(4) 更に、本件ピケツテイングの対象とされた配送車の運転手らの態度についてみるに、前記認定事実によれば、十号車担当の平田は、朝食を積み終えたのち、京屋の車の後方を通行できるものと考えて発送室を出発したが、合同労組員らが車の後方に木柵を置くや、数米進行したのみで進行を諦め、合同労組員らに対し何ら通行したい旨を申出ることもないまま、十号車を発送室に返してしまい、その後ピケツテイングが解除されるまで、東京衛材研究所方向はもちろん高野方方向へも進行することなく過ごし、五号車担当の関根は、朝食を積み終えたのち、河野商店前路上は通行できないと考えて、東京衛材研究所前路上の方に出発したが、丹治運転の十一号車が駐車していたためその手前四、五米位で停車し、クラクシヨンを鳴らして進路を開けるよう合図しただけで進行を諦めて下車し、丹治に対し何ら通行したい旨を申出ることもないまま、発送室に引返してしまい、その後ピケツテイングが解除されるまで、高野方方向へ進行することなく過ごし、また、十二号車担当の宮本及び二号車担当の稲田の両名は、いずれも本件ピケツテイングを見て出発を諦め、合同労組員らに通行したい旨を申出ることもないまま、本件ピケツテイングが解除されるまで、発送室より出発しないで過ごしたのである。
このように配送車の運転手らは、合同労組員らに対し、説得に応じないで通行したい旨の意思を積極的明確に表示することもなく、いとも簡単に引下がつたのである。
(四) 本件ピケツテイングの与えた影響
前記認定事実によれば、給食センター側は、朝食の配送車がいずれも平常より約一時間遅れて出発し各事業所への配達も遅れたため、三事業所より主食副食とも計十七食宛の註文を取消されたり、電話で配達の催促を受け、また一部には朝食が作業開始時までに間に合わなかつた所もあつたのである。しかし、前掲各証拠によれば、註文を取消されたのは全体の極く一部にしか過ぎず、給食センター側はすでに配達のできないことがあることを予想してインスタントラーメンを配布していたこと、朝食が作業開始時までに間に合わなかつた所でも、間もなく配達されて朝食できたこと、電話による催促は、給食センター側が本件ピケツテイングにより配達が遅れていることを隠していたため、その数を増加させていることが認められる。
また、前掲各証拠によれば、本件ピケツテイングの行われた場所は、三ケ所とも公道であるが、その行われたのは早朝の午前五時五十分ころから午前六時五十分ころまでの間であり、右三ケ所のピケツテイングによつて一般車輛の通行が不可能ないしは困難となつたのは、給食センターを中心とした極く限られた範囲の道路であることが明らかであるところ、右範囲内の道路を通行する必要のある一般の人や車輛が本件ピケツテイングによつて通行できなかつたことを認めるに足りる証拠はないのである。
(五) 以上のような諸般の事情を考慮すれば、本件ピケツテイングは、丹治運転の十一号車を使用したことなど妥当とは言い難いようなものが一部あつたとはいえ、その態様(手段方法)においていまだ正当な範囲を逸脱したものと言うに足りないのである。
三、従つて、被告人ら合同労組員の行つた本件ピケツテイングは、正当な争議行為として労働組合法第一条第二項本文により刑法第三十五条の適用を受け、違法性が阻却されるものと言うべきである。
第五、結論
以上説示したとおり、被告人に対する本件公訴事実は、刑法第二百三十四条、第六十条の威力業務妨害罪の構成要件に該当するが、同法第三十五条の正当行為として違法性が阻却されるので、刑事訴訟法第三百三十六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 清水春三 竪山真一 中込秀樹)